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☆愛知・名古屋 戦争にかんする資料館☆

74年前


鶯の鳴き声が美しく響き渡る、穏やかな春。
でも、74年前の3月は少なくとも名古屋の人々は、
恐怖の中に身を置いていたのかもしれません。
それを実感したのは昨年の8月、
名古屋にある「愛知・名古屋 戦争にかんする資料館」へ出掛けた際のことでした。


戦争に関する資料館1
↑投下された爆弾でしょうか

第二次世界大戦末期、アメリカ軍が名古屋市に対して繰り返し行った名古屋大空襲。
特に市街地を標的として大規模に行われたそうです。
1945年(昭和20年)3月12日に中心市街地が罹災。
3月19日には名古屋駅が炎上。
名古屋城を焼失した空襲は少し先の5月14日ですが、
その甚大な被害がパネルや写真で詳しく説明されてあり、
よく知る身近な場所の無残な姿に、項垂れる気持ちでしばらく拝観していました。





戦争に関する資料館2
↑戦時中の制服

私の住む八事という地域も原爆が投下され死者が出たそうです。
それは7月26日。
エノラ・ゲイによる、長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の模擬爆弾として知られる
パンプキン爆弾を最後に、八事日赤病院付近へ63回もの空襲があったのだそうです。
B29の来襲は2579機に達し、投下された爆弾の総量は14,000t。
被害は死者7,858名、負傷者10,378名、被災家屋135,416戸。
これにより、名古屋市は日本の他の大都市と同様に壊滅的に破壊されたそうです。

以前、この八事付近に落ちた爆弾によって防空壕にいた家族全員を亡くされたという
年配の女性からお話を伺ったことがあり、
「この空襲のことだったんだ。。。」と、改めてお話を思い起こしていました。

昭和から平成、そして5月には改めて元号が変更されますが、
これまでの戦争について語り継がれて来たことや大災害など忘れることなく、
またそれを教訓に次の時代も逞しくしなやかに生きて行かなければと実感しました。
皆さまの街にもたくさんの歴史があると思います。
少し調べてみるのも興味深いですね


愛知・名古屋 戦争に関する資料館の公式ホームページはこちらです!

☆今年の初詣☆

八事山 興正寺


今日は春の様な陽気で過ごしやすい一日となりましたね。
我が家は南側の窓を全開にして、部屋中にお日様を取り込んでいました

ところで、
先日、ご近所にあるお寺さん「八事山 興正寺」へ初詣に行って参りました。

八事山 興正寺
↑興正寺は1686年から続く人々の信仰の拠り所です

私がこちらへ最初に訪れたのは幼稚園での《どんぐり拾い》でした。
写真後方に見える興正寺の象徴「五重塔」を眺めながら歩いたことを、
今でもぼんやりと覚えています。
この塔は東海三県唯一の木造の五重塔で、国の重要文化財に指定されているのだそう。

写真前方の釈迦牟尼大仏(略称:平成大仏)は、平成26年9月、
国家安穏 国豊かで皆が平穏なれとの祈りを込めてこちらに奉安されたそうです。
青銅鋳造に漆塗り仕上げの平成大仏は、とても優しいお顔立ち。
今年もこの八事の地から、私達を見守って下さいますように。。。

年の初めに心がpurifyされ、前向きな気持ちでお寺を後にする事が出来ました。
次回2月の節分にまたお世話になります

八事山 興正寺の公式ホームページはこちらです

☆もうすぐ閉店☆

丸栄百貨店


名古屋を代表する老舗百貨店「丸栄」。
他府県の方には馴染みの薄い名前かもしれませんが、
かつては松坂屋、三越、名鉄百貨店とともに、その頭文字から「4M」と呼ばれ、
名古屋市民から愛されていました。
その丸栄が2018年6月30日をもって閉店します。
最後のお別れをしようと、主人とゆっくりお買い物を楽しんできました。

丸栄百貨店外観
↑名古屋・栄の顔「丸栄百貨店」

まずは外観デザインから
戦後甚大な被害を受けた名古屋でいち早く営業を再開した丸栄は、
焼け残った建物を増築し、新たな店舗での開業に踏み切ったそうです。
設計は、大阪の「そごう百貨店」などを手掛けた、
関西建築界の巨匠村野藤吾氏に委ねられ、後にこの丸栄百貨店で
百貨店建築初となる建築学会賞を受賞されたそうです。

彼が心血を注いだ点は多々ありますが、まずは写真左側の壁の端正なファザード。
既存のストライプ状の外壁をそのまま上へと伸ばし、
ここに鳩羽紫色のカラコン・モザイクタイルを。
ちなみにこのモザイクは伊奈製陶(現LIXIL)のヒット作だったそう。
開口部にはガラスブロックをはめ、それを細い方立(窓と窓などを仕切る縦枠材)で固定。
各層を表す小庇付きのボーダーは、方立と同じ人造石研ぎ出しで構成されているのだそう。
この外観は外光から商品を守る役割を担い、また広小路通にリズムと賑わいを与えた様です。

また、写真右側の陶壁もとても興味をそそります。
西日を避けるために閉じた壁面を、色彩豊かなタイル画の陶壁とすることで
異色の大看板としたアイデアだったようです。
美術タイルで描かれた抽象的なモチーフ画も村野氏の手によるものだそう。
他にも村野氏は、外観だけでは無く内装にも工夫をこらされたようです。






暖簾
↑呉服商十一屋と三星百貨店が合併し「丸栄」へ。

丸栄百貨店は、前身の呉服商十一屋から辿ると、松坂屋に次ぐ400年の歴史があります。
1943年には、丸栄のルーツである十一屋と、もうひとつのルーツ三星百貨店が
戦時下で合併し「丸栄百貨店」が誕生します。
「丸栄」とは、栄町で丸く栄えるようにとも想いが込められていたのだそうです。
その由来通り、一時は西日本最大の売り場面積を誇り、また名古屋の百貨店ではじめて
エレベーターを導入したのも丸栄だったそう。
まさに常に人で溢れた時代の最先端を行く場所だったようです。

それから時は流れ、バブル崩壊、2000年にはジェイアール名古屋高島屋が開業を控える等
打撃は続き、この度の閉店に至ったようです。

確かに、私もあまり売り上げに協力できて無かったように思います。
ご贔屓の他百貨店へ行ってしまったり、お隣のビル「スカイル」で引き返してしまったり。。。
ごめんさい
ということで、最後にお買い物してきました!





イヤープレート
↑閉店セールで見つけたヘレンド・イヤープレート

結婚した年に買おうと思っていたヘレンドのイヤープレート。
干支のデザインが夫婦で気に入っています
でも気付いた時にはもう遅く完売。
すっかり諦めていたのですが、何と!数枚飾ってある内の一枚にその年があったのです
しかも閉店セールで20%オフ!!!
丸栄さん、ありがとう
色んな意味で、忘れられないイヤープレートとなりました

9月に取り壊されてしまうこの建物を写真に収めていたのは私だけでは無く、
若い方から年配の方々まで、皆さん信号待ちの間スマホや携帯を構えていました。
さすが名古屋の皆さんは、まもなく閉店ということを良くわかっていらっしゃるだなぁと
それを見て改めて実感しました。

店内の特設会場で行われていた「丸栄のあゆみパネル展」。
オープン当時の映像や写真、私が生まれた年の広告などを見ながら、
デパートがひとつなくなる事でこんなに寂しい気持ちになるのは何でなんだろう。。。
と問いかけている時、ふと以前読んだ本《百貨の魔法》が頭を過ぎりました。
何でも揃ってキラキラした百貨店は、まるで魔法に掛かけられた様に
皆を笑顔にしてくれる場所
そんな風に私達を楽しませてくれるのは、売り場に立ち続ける方々等、
百貨店で働く人のおかげでもあります。
本を読んだことで、展示を見ながらそんな働く人々の気持ちを
感じ取ってしまったのかもしれません。
とても素敵な本なので、宜しければ一度手に取ってみて下さいね

丸栄百貨店、長い間本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
皆さん、最後に足を運んでみて下さい


丸栄百貨店の公式ホームページはこちらです!

☆徳川美術館へ☆

天璋院篤姫と皇女和宮


先日、スーパーへ出掛ける前に、ちょっと寄り道をして徳川美術館へ
激動の幕末を生きた二人の女性、天璋院篤姫と皇女和宮の展覧会です。
嫁・姑であるこの二人について、以前からとても興味があったので、
じっくり拝見してこようと合間を縫って出掛けたのでした。

正面門
↑風格ある門構えの徳川美術館正面門

平日ということもあって、人は疎らでしたが、
日系アメリカ人の団体に遭遇し、少し賑やかな雰囲気で楽しむ事が出来ました。
添乗員のアナウンスではどうも、「1時間見学したらお隣にある日本庭園「徳川園」へ
行きます。」と言っている様だったので、私も予定通り1時間ほどと思っていましたが。。。
結局2時間近く掛かってしまいました。
やはり一人で出向いたのは正解でした






秋季特別展看板
↑こちらの展覧会は今日までです!(いつもギリギリのご報告ですみません

天璋院篤姫と皇女和宮は、どちらも政治的な使命を帯びて、徳川将軍家に嫁いでいます。
そんな二人は当初対立していましたが、いつしか徳川家の家名存続に尽力することで、
協力しあい難局を乗り越えたと言われています。
そんな幕末の大奥での暮らしぶりや人間模様を垣間見る事の出来る、
実際に使用した品約130点を展示しているのが、
この展覧会の魅力です

二人が着用した着物、箪笥や化粧道具、雛人形など、
ひとつひとつに時間を掛けて拝見したいものばかり。
特に、二人が交わしたお手紙からは、お互いの相手を思いやる優しさが伝わり、
流れるような雅な文字に心惹かれました。
自らの意思で行動していく二人の姿に、女性のしなやかさと強さを感じ、
私も見習って行けたらと思える、実り多き展覧会でした。

展覧会は今日までです!
ご興味のある方はお急ぎ願います


徳川美術館の公式ホームページはこちらです!

☆名古屋の古民家カフェ☆

なごみ


今月初め頃の話になりますが、ちょうど桜の花も満開の気持ちの良い日に
天白区の山の上にある古民家カフェ「なごみ」で、主人と主人の母の3人
のんびり時を過ごしました。

ぼたもち
↑牡丹餅とほうじ茶のティーセット

こちらでは日本庭園を眺めながら、のんびりお茶を楽しむ事ができます。
チョコレートケーキや紅茶、コーヒーなどのメニューの中で、
ちょっと気にになったお母さんもおすすめの「ぼたもち」をチョイス
私のげんこつ以上の大きさでしたが、甘さひかえめであっという間になくなってしまいます。
セットのほうじ茶との相性は間違いがなく、ほっと癒やされるひとときでした。





天井
↑上をみると一際目を引く大きな梁

さて、美味しいお菓子を頂いた後も、お楽しみは続きます
カフェスペースとして開放されているこちらの古民家は、江戸時代の旧岩村藩の庄屋の家を
移築したものだそうで、その際にこちらを『八幡閣』と名付けられています。
また、名古屋市の登録地域建造物資産に登録されているとのこと。
岐阜県(東濃)から名古屋まで遥々お引っ越ししてきたのですね。




囲炉裏
↑囲炉裏端ではお店の方がお裁縫をする光景も

年季の入った太く大きな梁や鴨居が、この古民家をずっと支えてきたかと思うと
とても感慨深いですね。
こちらでは、カフェスペースの横に、こちらのオーナーの手作り小物やアクセサリーが
ズラッと並べられ、販売されています。
もうお母さんとお買い物に夢中で、主人はそっちのけ、笑。
でも、教室で使用できそうな可愛いティーナプキンやブラジルの手刺繍の小物に
出会えたので、これも主人のおかげだと感謝
店内には、花器や骨董品やお着物などが所狭しと置かれていて、
特に女性を楽しませてくれそうですよ。




玄関
↑わびさびを感じる落ち着いた玄関

さて営業のご案内ですが、こちらは期間限定のカフェとなります。
なぜ夏と冬は閉店なの?と思われる方も多いはず。
それは、この古民家が「夏は蚊が多く冬は暖房がきかない」という理由だそう。
なるほど~。
でも、むしろ期限がある方が、人は行きたくなるものなのかもしれませんね、
少なくとも私は。。。笑






外観
↑名古屋に居ることを忘れてしまうような風景

こちらが、先程までお茶とお買い物を楽しんでいた古民家です。
何だか知る人ぞ知る山里の隠れ家カフェといった感じでしょ。





お庭
↑沢山の草花が、私達を楽しませてくれました

オーナーのお計らいで、ご自宅のお庭の方も見せて頂けることに。
山の斜面を上手く利用されていて、歩きながら草花を愛でる事ができます。
この時は、多種類の椿の花がとても綺麗でした。
春が来たんだなぁと実感





店先
↑山道の途中で、この看板に出会えます

楽しい時間を名残惜しみながら、家路へ。
今度は秋にまた訪れたいと思っています。
和がお好きな方へおすすめのカフェです



◯ カフェ・雑貨 なごみ ◯
住所:名古屋市天白区八幡山127
TEL:052-832-7221
営業案内:3月~5月 9月~11月(9:30~17:00 土・日・月)

☆春の京都3☆

偶然にも!


春の京都旅のお話も今日でラスト。
京都の北区へ立ち寄ったエピソードを綴ります

主人の母の口からふと出た言葉「光悦寺」。
京の北、鷹峰三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰)を見渡す景勝地にそれはあります。
ちょうどそちらの方向を通って帰る予定だったので、
少し足を伸ばしてみることになりました。


光悦寺
↑光悦寺

このあたり一帯は鷹ヶ峰光悦町と称び、1615年に徳川家康公が
本阿弥光悦翁に野屋敷として与えた土地だそう。
この本阿弥家は代々刀剣鑑定、磨砺(まれい)、浄拭(ぬぐい)を家業とし、
今も尚その業を続けている家柄だそうです。
その長男として生まれた光悦翁は、禁裏を始め将軍家及び
諸大名の御用を努めていたそうですが、
本業とは違った芸術面に豊かな才能を以て多くの作品を遺したそう。
この事は、日本文化の上に大きな功績をのこしたと云われているそうです。
ちなみに主人の実家には、光悦翁作品カレンダーが掛けられています。

光悦翁は、この辺り一帯に一族縁者をはじめ、
種々の工芸に携わる多くの職人と共に住居を構え、工芸集落を営んだそう。
そして、本阿弥家祖先供養の霊屋として位牌堂を設けたが、
光悦翁の死後は「日蓮宗光悦寺」となり今日に至っているのだそうです。

お寺から臨む京都市街は絶景です。
人も疎らなひっそりとした寺庭は手入れが行き届き美しく、
光悦翁作の光悦垣や、茶室を横目に、のんびり散策を楽しむ事ができます。
オススメのスポットですよ





そして、この辺りの商店街を車で通った時に、
あれ?どこかでみたことがあるような。。。と思ったのが、
こちらです!



御土居
↑御土居

私の好きなテレビ番組「ブラタモリ」でタモリさんが紹介していた「御土居」です。
豊臣秀吉が、京都の街全体を囲むよう作った土の壁の痕跡が、ここに残っているのです。
主人にも「良く覚えていたなぁ」と云われましたが、白状します。
この御土居の前にある《御土居まんじゅう》ののぼりを見て確信したことを・・・。
美味しそうだったんですよね~、御土居まんじゅう
もちろん購入し、帰りの車中でお母さんと頂きました
まさに、棚から牡丹餅の気分。








おみやげ
↑出町ふたばの大福

そして、商店街にある松野醤油でお醤油を購入し、
最後は京都の中心地・寺町でお買い物。
お留守番して下さった主人の父、そして主人の妹ファミリーへのお土産には、
その近くにある、明治32年創業の出町ふたばの「豆餅」を
ただ、この日はお彼岸の中日、もちろん店先は長蛇の列でした。
でも、待ちます、おいしいおいしい豆餅の為に。。。約20分。
我が家にも、豆餅と田舎大福(草餅)を購入。
次の日でも、やわらかくてとっても美味しかったです。
たまに、名古屋の百貨店にも来て下さるので、まだの方はぜひ

あっという間の一日でしたが、心豊かな楽しい時間を過ごす事ができました。
京都はいつ訪れても良いところですね。
感謝

☆春の京都1☆

桂離宮へ


ずっと訪れてみたかった桂離宮。
桂離宮は、京都御所、京都大宮御所、仙洞御所、修学院離宮とともに
皇室用財産(国有財産)として宮内庁が管理しています。
入園料はないのですが入園するのに予約が必要で、なかなか許可を得るのが困難です。
この度は主人の妹の計らいで、主人の母、主人と3人で思い掛けず足を運ぶ事ができたことに
心から感謝です

それでは、案内人の方とともに20名ほどの方々とご一緒に回遊した、
庭園の一部をご覧下さい

書院
↑書院全景

桂離宮は、八条宮(はちじょうのみや)初代智仁親王により、
1615年頃、宮家の別荘として創建されたそうです。
古書院は親王40歳代前半の時期に建てられたとのこと。

親王亡き後、二代智忠親王は加賀藩主の前田利常の息女富姫(ふうひめ)と結婚し、
財政的な裏付けもでき、山荘の復興、増築など美意識感覚をもって
意欲的に取り組まれたそうです。
それでは、それらの新増築された建物をご紹介します




州浜と松琴亭
↑州浜(すはま)と松琴亭(しょうきんてい)

桂離宮の正門である御幸門を拝見し、次に見る松琴亭の待合腰掛け(外腰掛)の
深々とした萱葺屋根を横目に歩いて行くと、《州浜》があります。
黒く扁平な石が敷き詰められて池に突き出ていて、その先にある灯籠は
灯台にみたてているそうです。
また、その先に見える中島と石橋のつながりは、
天橋立に見立てたものと言われているそう。

更に奥に見える《松琴亭》へ歩みを進めます。





松琴亭内
↑松琴亭内

《松琴亭》は、桂離宮で最も格の高い萱葺入母屋造りの茶室です。
名前の由来は「琴の音に峯の松風通ふらし・・・・・・・・」の句から採られてたそうで、
何だか風流ですね
この時代としては斬新な青と白の市松模様が、
大胆かつ柔軟な発想と創意を感じさせます。
その横に見えるのが、竈(かまど)です。
単にお茶を愉しむだけではなく、ここで食事などもしていたことが垣間見られます。
竈のすぐ横には船着き場があり、どうも食材を小舟で運んできていた様子。
東、北、西の三方から眺めるそれぞれに異なる風情を楽しむだけでなく、
こんな合理的な設計にもなっていることに、驚きと感心をおぼえました



そして小高い丘の斜面を登りきると、峠の茶屋風の《賞花亭》で
高い位置からの眺めを堪能。

綺麗に咲く馬酔木(あせび)の花を愛でながら持仏堂である《園林堂》へ。
今は安置されているものではなく建物だけが残っているそうです。

その先を行くと。。。






笑意軒
↑笑意軒

田舎風の茶室《笑意軒》です。
萱葺寄棟造りの屋根に柿葺のひさしを付けた、間口の長い建物。
ここで必見なのが、口の間の襖の引き手装飾
手前が【弓形】の引き手。
奥にみえるのが【櫂形】の引き手ですが、ここにも船着き場があるので、
きっと舟遊びを楽しまれたことから象られたのかもしれませんね。

またここは、唯一庭園外の景色も眺められることから、
水田で働く農民の姿を見ていたとも言われています。
そんなことから、今でも地元の方にお願いして
田んぼを作っていただいているそうですよ


そして、最初の写真にある《書院》の前の《月見台(月を観賞するために作られた竹簀子)》を
横目に、最後の茶亭《月波楼》へ。
池辺の高みに建つせいか、開け放った窓から流れる柔らかな風が何とも心地よかったです。
池を眺めるのに見晴らしが良いのですが、またこれが月を見るのに良い位置にあるのだそう。
月夜の茶会素敵すぎて想像するだけでワクワクします、笑。





お越寄
↑お越寄

そして最後は《お越寄》。
書院の玄関となります。
四段の石段を上がると、一枚石の大きな沓脱(くつぬぎ)。
六人の沓を並べられることから、【六つの沓脱】と言われているそう。


約1時間の庭園見学でしたが、決して華美でなく簡素なのですが、
そんな中にも格調を保った趣に、とても好感が持てました。
明治14年(1881年)に十二代淑子内親王が亡くなられるととも、
八条宮家は絶え、明治16年に宮内庁管轄となり『桂離宮』と称されます。
そんな、明治初めまで人が住んでいたという形跡がどことなく残っているところ、
そして、宮家が絶えるというどこか切ない感も、
桂離宮に心惹かれる要因のような気がしました。

純日本風建築物からみる日本の至極の美を堪能する、
穏やかな春の一日となりました



宮内庁の公式ホームページはこちらです。

☆愛知大学公館100年物語☆

明治の近代遺産


先日、私の愛車でのんびりと豊橋へ行って来ました。
目的は愛知大学公館の一般向け見学会があったからです。
主人も私も明治・大正時代の古い建築物を見るのが好きなので、
この日は建設100年という歴史に、ふたりで思いを馳せてきました

外観
↑正面玄関前

公館とは公共の建物ですが、こちらは旧陸軍第15師団長官舎として、
1912年5月に建設されました。








室内
↑暖炉のある洋室

皇族の久邇宮邦彦(くにのみやくによし)王中将が第7代師団長に着任した際は、
その長女の良子(ながこ)女王(のちの昭和天皇の皇后)も共に暮らしていたそうです。








井戸
↑お庭にひっそり佇む古い井戸

その後、1927年からは教導学校長宿舎となり、
1940年には予備士官学校長宿舎となったそうです。
この2つの学校が併存していた時期(1939年~41年)は、
校長は両学校を兼任していたのだそう。
終戦までの間に、18人の師団長・学校長がここで生活していたようです。
現在はひっそりと静まりかえっていますが、激動の時代を乗り越えた跡を、
建物の随所から垣間見る事ができたような気がします。







裏庭
↑裏庭に立つと、和風建築と洋風建築が一つになっていることがわかります。

それを一番感じたのが、裏庭にあった防空壕。
一般に見掛けるそれとは少し趣が違い、コンクリート製のとても頑丈で大きなものでした。

そして戦後、1946年からは愛知大学の公館となり、歴代学長、
学部長の一部およびその家族が居住し、
1960年には集中講義での外来講師の宿泊所に転用、
1980年頃まで使用していたそうです。

2002年にはこの公館が、豊橋市より有形文化財に指定され、
今に至るということです。

普段は非公開ですが、豊橋費の市制施行110周年記念事業として
市民が提案した貴重な3日間の公開イベント
明治・大正・昭和の空間に身を置いて、気持ちが引き締まりながらも
とても穏やかな時を過ごす事ができました

☆ポンペイの壁画展☆

古代ローマの美


先日終わってしまったのですが、7月23日から名古屋市博物館で開催されていた
「ポンペイの壁画展」、ご覧になられましたか。
私は何とか終わる直前に足を運ぶことが出来ました

玄関前
↑思った以上の来場者数に、古代ローマへの関心の深さを感じました

古代ローマ。。。今から2000年前ほど昔の話ですが、火山噴火によって閉じ込められた
ナポリ近郊にある悲劇の町「ポンペイ」の当時の暮らしぶりなどを、
出土された壁画に焦点当て迫ってみよう!という、
子どもにもわかりやすい解説付きの壁画展でした。
気にはなりつつも元々そんなに興味があった訳でも無く、
なんとなく主人に連れられて行って来たのですが、これがなかなか興味深く、
多分最後の方では凄く怖い顔で見入っていたと思われます(笑)

神話にでてくる神が描かれた壁画は、
当時、ポンペイの町の邸宅や別荘を彩っていたものだそう。
お部屋にこのような絵が描かれているなんて、どんなお家だったのでしょうね。
三方をこの壁に囲まれた展示室では、まるで人生を謳歌した古代ローマ人の生活空間を
追体験しているようでした(楽しい妄想の時間です)
これらの壁画などが出土された場所は、現在、世界遺産となっているそうです。
日伊の国交樹立150周年記念の壁画展だそうですが、
なかなか渡欧できない人にとっては、本当に魅力的な企画だったと思います。
北陸ナンバーの車も見掛けたので、きっと開催中は東海地方の方々が
挙って足を運んだのかもしれませんね。

よみがえる古代ローマの美に、思い掛けず驚きと感動を与えられた、
有意義な休日となりました

☆2016・中秋の名月☆

まる


朝夕涼しい風が吹くようになりましたね。
私の大好きな秋が少しずつ感じられるようになって、心和む毎日です。
そんな今日9月15日は2016年の「中秋の名月」の日
最近お天気が芳しくないですが、
今日は雲間からでも見えないかしら…ちょっと不安。
そこで何か代わりに、丸いもの、丸いもの。。。


目玉焼き

あった!
朝食の目玉焼き(笑)
やっと見つけた、我が家の丸いもの




ちなみに、中秋の名月の由来は、稲の豊作祈願のお祭り、
また【芋名月】と云って、芋類の収穫祭からはじまったものという説もあるそうです。
今晩は豊作に感謝しながら、肉じゃがでも楽しみたいと思いま~す

☆2016夏・熱田神宮☆

静かな杜


今日は仕事の打ち合わせで熱田区へ行たので、
久しぶりに熱田神宮を訪れ、参拝することにしました。

熱田神宮
↑正殿からの帰り道

相変わらず中国人の団体旅行者が多い気がしましたが、
その方々が通り過ぎていけば、杜に響く砂利の音が、
疲れた身体を浄化してくれるような心持ちになります

また手を合わせる事ができたことに感謝

熱田神宮の公式ホームページはこちらです!

プロフィール

小川 忍

Author:小川 忍
SHINOBU OGAWA
10月生まれの天秤座。
2006年より 紅茶教室
「putney saloon」主宰。
八事教室、教育機関、出張教室等で活動。
パットニーサルーンホームページ

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